師範紹介

 今村 樹憲 師範(財団法人合気会 七段位)

 Tatsunori Imamura


 『 すべてひとつ 』
  ―いのちの合気―

  合気道は久遠のいのちの道
  人類を家族のように思う道
  幸せと平和の祈りを拓く道


 開祖植芝盛平翁の道歌

 ~いき生命めぐり栄ゆる世の仕組み
  魂の合気は天之浮橋~

  世界人類が平和でありますように。
  May Peace Prevail On Earth.


 今村師範は、1965年春より本部道場及び本部直轄の新橋道場にて合気道を始め、翌年埼玉大学合気道部を創設し、初代部長として合気道の心技を切磋琢磨し、また後輩の育成にも尽力、その後白光真宏会の合気道部を創設されました。
 1992年には、ロシア・シベリア地区にて合気道の指導及び組織作りの支援を開始、1993年7月に(旧)北海道国際合気道協会設立(2013年に合氣道国際平和文化交流倶楽部に名称変更)。今村師範が創設時より会長に就任し今日に至っております。
 その活動は、北海道内のみならず国内、そして北海道と縁のある世界の国々の合気道関係団体や道場と相互に交流・協力、そして指導等を通じて、合気道の健全な普及・発展を図り、世界の平和・文化・友好に寄与することを目的としています。
 現在北海道内ではA&P合氣道平和塾、北海道家庭学校、白滝合気会自由の森道場、滝川合気会、様似合気会などの道場・団体で指導を行っています。 また、国内でも高知、明徳義塾、関西、東海、関東地域で年数回、 更に海外ではロシア各地(モスクワ、ノボシビルスク、ハバロフスク、ウラジオストク、コムサモルスク・ナ・アムール、シベリアのバルナウール等)、ヨーロッパ(オーストリア、ウクライナ、リトアニア、ポーランド、ハンガリー、チェコ等)からの 招聘により年数回程度海外での合気道の指導・普及に尽力してきました。また、2012年より、アメリカ各地で指導者向けのセミナーを開催しています。

  今村 樹憲 師範

  今村 樹憲 師範

師範プロフィール/経歴

 (1) 1946年(昭和21年)夏、生まれる。

 (2) 1965年(昭和40年)春、本部道場入門。

 (3) 1966年(昭和41年)春、大学に合気道部を創設。

 (4) 1969年(昭和44年)春、社会人と武人の共存。

 (5) 1980年(昭和55年)春、東京から北海道に移住。

 (6) 1992年(平成 4年)夏、ロシアとの交流始まる。

 (7) 1993年(平成 5年)夏、現・合気道国際文化交流倶楽部創設。

 (8) 2000年(平成12年)春、公的各種団体との協働開始。

 (9) 2008年(平成20年)秋、懸念のウクライナへ。

 (10) 2019年(令和元年)春、リモート稽古を開始。

 (11) 2022年(令和 4年)秋、国内外の指導交流を再開、現在に至る。

 

 ~プロフィールの詳細~

 

 

 

 (1)1946年(昭和21年)夏、生まれる。


 小京都と呼ばれる、石川県金沢市に生まれる。

市街地と田舎の農村地帯の二つの実家で育つ。田んぼのあぜ道にこんこんと湧き出る、冷涼な水の味が忘れられない。祖父母は、毎日早朝に熱心にお経をあげていた。おばあちゃんは、「ありがとう」と「もったしゃあ」(もったいない)の言葉を繰り返し、何故か特別に私を大事にしてくれた。

幼少期に、東京へ移住。まだ、戦争による破壊と混乱の傷あとが、物資面でも精神面でも痛ましかった。それでも、奇跡と言われる戦後の復旧・復興を目の当たりに体験しながら、自分たちも成長してゆく。貧しいながらも、お互いに助け合いながら、心を合わせながら、時にはぶつかりながらも、日本という国に生まれ育ったことを、今では心から幸せに感じている。

 

 

 

 

 (2)1965年(昭和40年)


 合気道本部道場に入門。

東京・新宿の本部道場および直轄の新橋道場にて合気道を始める。 合気道と言う名前と開祖の演武の様子を隣人からちょっと聞いただけ。 その一年後に、突然、思い立ったように、本部道場の門を叩き、合気道を直接自分の目で見ないままに入門手続きをした。自分でも信じられない行動だった。

本部道場への入門初日、開祖のお姿を目の当たりにする。「本来の人間の命そのままを顕わされていらっしゃる」と実感。開祖の合気道の精神とお心に触れ、生涯忘れられない深い感動を抱く。この日から、「合気道から世界の平和の道に向かって」私の新たな人生が始動する。

その3年後、1968年(昭和43年)、東京日比谷公会堂において全日本演武大会が開催された。開祖が奉納された神楽舞は、まさに宇宙と開祖が一つに溶け合った世界そのもの。強い感銘を受ける。

 

 

 

 

 (3)1966年(昭和41年)春、


 大学で合気道部を創設する。

その年の初めに、二代道主・吉祥丸道主からのお薦めもあり、母校の埼玉大学に合気道部を創設する。集まった仲間に合気道経験者無し。自ずと日々の稽古は私の指導のもとで行われた。創設当時は、強さを意識した、かなり荒っぽい稽古だった。私だけ、一度も怪我せず、怪我をさせっ放し。笑えて笑えない、当時のエピソードたくさんあり。

創設以来今まで、小林保雄師範には、熱く楽しくハードなご指導を仰ぎ、現道主、植芝守央先生には、いつも温かく見守り続けて頂いている。道主も小林師範も、合気道の技の基本だけでなく、人と人が触れ合う基本を、今でも大切にされておられる。

また、本部直轄の新橋道場で、毎日稽古、ご指導いただいた増田誠寿朗師範、小出武夫師範には、大学での稽古期間もその後も、いつも私たちを支えて頂いた。もともと増田師範は、時間の都合が付けば、私たちの大学のご指導をお願いする方でした。

私の同期の石垣晴夫師範には、今も現役、卒業生が、合気道の指導プラス人生支援を受けている。そのお陰や多くの方々の厚意好意で、すでに、600名を超えるOB・OGが合気道部を卒業?している。卒業生たちは、現在も国内国外各地で、合気道の指導普及に力を注いでいる。

その合気道部の仲間たちが築き、広めて来た合気道の世界に、合気道の本来の精神を、あらためて注いで行くのが、私の大事な役目だと、勝手に認識している。押し付けにならないように皆んなに寄り添い、合気道の技の基本と精神を大切に、ストレートに伝えたいと思っている。

 

 

 

 

 (4)1969年(昭和44年)春、


 二足のわらじを履く(二つの役割を、プロ意識で行う)

大学卒業前に、ある本部道場の師範から、一緒にアメリカでの合気道の指導普及に行かないか、とお誘いを頂いた。その時、私が本当に望む人生を歩むには、一度、地に足のついた社会経験をしっかり積むことが必要だと、痛感していた。

そして、社会人としての生活が始まる。畳の上の稽古以上に、日常生活のすべてが合気道、「武日一如」がしっかり身につくよう全力を注いだ。日々、商社マンとして仕事に励みながら、合気道の稽古・鍛錬も欠かさず行い、さらに、その他の武術や武道についての修練も重ねた。合気道の段位を超えた武人として、また社会人として、真剣勝負の日々が、それからずっと続いた。今は、一日、一瞬に全身全霊を注いでいる。

1971年(昭和46年)、25歳のある日、渋谷の書店で初めて五井昌久先生のご著者に出会う。そして、「世界人類が平和でありますように」という言葉が、文字の方から光を放つように私の中に飛び込んできた。その瞬間、「自分が人生で今まで求めてきたのは、これだ!」と直観した。それ以来、「合気道と世界平和」が私の人生を歩む明確な指針となっている。

植芝盛平先生と五井昌久先生は、お互いに肝胆照らす仲。その神縁を知ったのは、その少しあと。「合気道と世界平和の祈り」が車の両輪のように、どちらも地球と人類の真の安寧を実現するために大事な役割を担っている。植芝盛平先生と五井昌久先生、お二方は、私の生涯を通して、私だけでなく、合気道人がこの世に生まれた天意を完うする上で、不可欠な存在。そのことを今、さらに深く痛感している。

 

 

 

 

 (5)1980年(昭和55年)春、


 東京から神奈川経由して、北海道、札幌市に転居し現在に至る。

今も「武日一如」を実践している。社会人としての生活と合気道の稽古指導を両立し、続けている。30年以上、国や自治体、研究機関などの広報の仕事に携わってきた。日本という国が国民が、地域が人々が、表向き望んでいることと、心底願っていることに大きなギャップがあることに気付いた。その間を埋めて行くことが、私の社会生活での大事な役目の一つであると受け止めている。

北海道という日本の最北端の、日本としては広大な地が、物質だけでなく心の豊かさが価値をもつ地域社会となりうる大きな可能性を秘めている。まだ手付かずの広大な大地があること。日本の平均値より、経済発展が遅れていること。そのことが、北海道にとって良かったかも知れない。

SDGsのように、世界全体が、金銭価値観から地球全体の持続的な環境づくりや生き方、価値観にシフトしつつある。このような変化の中で、日本および世界のお手本となるように、北海道の未来づくり構想のお手伝いを続けている。その一環として、産学官連携を推進する役割も担って来ている。今はすべてボランティア。地域をそっと支える現代の彦左衛門(サポーター)の役を静かに担いたい。

武人としては、強く美しい合気道の体技の普及と同時に、合気道の精神を基にして、世界の平和を祈り印を組むことを実践。その体験・体感で得た確信を、合気道を通してより多くの人々にお伝えすることで、平和実現の道を拓き続けている。このことが、他の合気道に関わる方々と少し異なる、私の個性となっている。そのような個性・役割の違いをお互い認め合い、合気道の真の普及発展に力を合わせて行きたいと願っている。

 

 

 

 

 (6)1992年(平成4年)夏、


 ロシアとの交流始まる。

ソ連が崩壊し、ロシアが誕生した翌年 にあたる1992年(平成4年)より、ロシア・シベリア地区にて、合気道の指導及び組織作りの支援を開始する。ロシアの合気道人の日本での受け入れ指導交流も始まる。

ノボシビルスク市での合気道セミナーでは、日本の指導者たちが、スポーツや格闘技などのメダリストやチャンピオンクラスの、いずれも見るからに体力、体格に秀でたロシア人たちに直接触れ合い、合気道を実感させ、感動を与えた。 これがきっかけとなり、その後30年以上にわたり年に2回、60回近くロシア各地を訪れ、さらにはアメリカ、ヨーロッパ、アジアなど、世界各地へ赴き、合気道の指導交流を続けている。

 

 

 

 

 (7)1993年(平成5年)夏、


 現・合気道国際平和文化交流倶楽部(AIPACEC)創設。

現・合気道国際平和文化交流倶楽部(AIPACEC)を設立。(旧、北海道国際合気道協会) 北海道内のみならず、国内そして北海道と縁のある世界各国の合気道関係団体や道場において、相互の理解と尊重を深めながらの稽古・指導交流、平和・文化交流を続けている。 現在は、特に合気道や武道の指導者に向けて、技だけでなく精神も磨き合う稽古に重点を置き、国内外の指導にあたっている。

海外での指導交流地域。 ちなみに、現在までに、日本各地、および海外では、ロシア各地(サハリン、ハバロフスク、ウラジオストク、コムサムール、ブラゴベチェンスク、ノボシビルスク、シベリア各地、サンクトペテルブルク、モスクワ等)、ヨーロッパ(オーストリア、ウクライナ、リトアニア、ポーランド、ハンガリー、チェコ等)、アジア(上海、香港、台湾)アメリカ各地(シアトル、モンタナ、ワシントンD.C.、グアム)、カナダなどで指導交流を経験し、今も続けている。

A&Pの活動。 2024年迄に、それまでの合気道の道場での指導を引退し、AIPACECの直接関連団体として、 A&P合気道平和塾を新たに開設。A&Pは、Aikido&Peaceの略称。公共の施設を活用し、少人数での個別指導。健康にも良く、合気道の最も基本となる動きや技を掘り下げ、学び合う。稽古とは別に、合気道の精神を大切にし、みんなで平和の印を組み続けている。また、本州に拠点を置くA&P石垣道場(本部)やその関連道場との交流、連携も進めている。

 

 

 

 

 (8)2000年(平成12年)春、


 公的各種団体との協働の取り組みが始まる。

合気道の道場での指導とは別に、札幌市の教育施設、女性センター、北海道警察との連携で 護身術など指導、文科省主催の日本文化伝承授業での中学生指導、五井平和財団との連携、JICAの海外からの研修生への指導稽古、JICA海外協力隊メンバーへの支援なども行う。

2000年の夏、(公財)五井平和財団の特別イベントが、日本武道館で開催された。120ヵ国近くにおよぶ世界各国の駐日大使公使や関係者がご隣席の中、日本文化の象徴の一つとして、合気道が紹介され、守央道主のおおらかで力強く美しい演武が披露された。ありがたいことに、その準備、裏方を、私たち合気道と平和を祈る仲間たちが担わさせて頂いた。

さまざまな団体とのコラボ活動を通して、単に武道としての合気道ではなく、心と体が一体となった健康づくり、子供たちの発育・教育の側面的な支援、未来を担う若い世代との交流なども、進行している。生涯教育や、健康寿命を延ばす事なども視野に入れ、奥行きのある、幅の広い武道としての発展を目指している。

 

 

 

 

 (9)2008年(平成20年)秋、


 懸念のウクライナへ。

ロシアでの指導の後、モスクワ経由でリトアニア共和国、ウクライナ共和国にて、さらに、他の東欧や西欧各地域での合気道の指導交流セミナーを行う。その後も、数回に渡りこのような訪問を行う。前後して、ウクライナを数度訪問している。

このセミナーに合わせ、私の合気道に対する考え方を『合気道に何を求めるか。』というタイトルの小冊子にまとめ、ロシア語にも翻訳し、ロシア・ウクライナへ持参した。

ウクライナ共和国のセミナーでは、合気道の指導者が、この小冊子の全文をロシア語で読み上げ、多くの参加者が賛同し、一緒に世界の平和を祈り印を組んだ。ウクライナの友人たちの祈りは真剣だった。

すでに、その当時からウクライナの政情は不安定な状態に置かれていることが、肌に直接伝わった来ていた。その後、ウクライナに入ることを、日本や海外の友人たちは、絶対に止めるように、私に忠告していた。それでも、危険覚悟で、再度ウクライナに入った。ウクライナの友人たちと心を共にしたいと思ったからである。その私の心を、ロシアの友人たちも理解し、支えてくれた。今でも、ウクライナとロシアの合気道には国境は無い。

 

 

 

 

 (10)2019年(令和元年)春、


 リモートでの稽古を開始。

2019年世界的なコロナウィルス感染症の蔓延に伴い、道場での指導に代えて、合気道の基本となる動きを身につけるリモート稽古を開始する。現在は、道場での稽古に加えて、リモート稽古も継続している。また、いつでも、どこでも無理なく体を動かすことが出来るように、健康体操と合気道の基本を織り込んだ動画も配信している。

 

 

 

 

 (11)2022年(令和4年)秋、


 国内外の指導交流を再開。

コロナウィルス感染症にまつわる行動規制の緩和に伴い、まず国内各地での稽古指導を再開し、徐々に拡大する。北海道をはじめ、東京・埼玉・千葉・神奈川・富士などの東日本で、四国・大阪などの西日本で、指導交流を進める。

2022年秋には、アメリカなどでの指導交流を再開する。2024年(令和6年)秋には、再びアメリカ各地への訪問を予定している。また、夏頃には、東欧・北欧などへの訪問も進めている。時間があれば、台湾での指導交流も行いたいと考えている。

ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナ、中国と台湾など、合気道交流を通して、対立が平和裡に溶け合うことを、心から願って止まない。それぞれの国々、人々を「合気(愛気)」で一つに結んでいく。どんな押し付けもなく、お互いの環境、心に寄り添って行くことこそ、私たち合気道人の役目ではないだろうか。

 

 

 

 

 @終わりに。


 繰り返しお伝えしたいと思います。

合気道は、自分と人類すべての本来のいのちが、永遠のいのちとして一つであり、肉体の命が消えても尚、生き続けるいのちであると、実感する道。そして、全人類が一つに溶け合う家族だと、実感できる道、そう私たちは確信して、日々の稽古を、日常の生活を歩んでいます。

この合気道のいのちの世界を、多くの仲間と共感し、
日々の稽古を楽しみながら、平和の礎を築き、
幸せの扉を開き続けて行きたいと思います。

~世界平和の祈りと神聖に還る印(IN)を添えて~

私たちが皆一つで幸せでありますように
世界人類が平和でありますように

ピース合気道メンバー
今村樹憲